アニメージュとジブリ展|福岡展の 見どころ

見どころ・会場構成

ココいよ アニメージュとジブリ展

『初公開』の貴重な資料やセル画。 立体造作を含む、約200点以上で構成

本展で初公開となる「風の谷のナウシカ」のセル画の数々や企画書を展示。
さらに今回は、映画「シン・ゴジラ」のキャラクターデザインを手掛け、「ジブリの大博覧会」では「王蟲の世界」を製作・監修した日本を代表する造形作家・竹谷隆之氏による初の試み、「風使いの腐海装束」、「巨神兵のジオラマ」を完全再現した造形物も登場します。
また、秋田県大舘市にある映画館「御成座」で2020年にリバイバル上映された際に新たに描かれた劇場用の巨大看板(復刻版)も必見!
さらには、「天空の城ラピュタ」公開より前に宮崎駿氏が描き、実際に模型が制作されていた飛行船「ワンダー・シップ号」。
今回、その模型造作が発見され、特別公開されます。
その他にも、富野由悠季監督作品「機動戦士ガンダム」のガンプラ造作の数々。
押井守監督の幻の作品とも言われる、「天使のたまご」の貴重な資料など、立体造作物を含む、およそ200点以上を惜しみなく展示。
会場内には、写真撮影可能なエリアも多数存在する、大注目の展覧会となります。

※写真は東京会場です。

本展で初登場! ココでしか買えない!! 超レアなオリジナルグッズが多数

青色の毛並みのテトのぬいぐるみ ©1984 Studio Ghibli・H ©1986 Studio Ghibli ©1988 Studio Ghibli ©1989 角野栄子・Studio Ghibli・N これまで、「風の谷のナウシカ」のグッズは、殆ど制作されて来ませんでした。
しかしながら、本展では、スタジオジブリや「風の谷のナウシカ」という作品が、「アニメージュ」という雑誌から誕生した・・・という歴史に迫る展覧会でもあり、本展実施に伴い、特別なオリジナルグッズとして数多く制作されました。
その他、当時の「アニメージュの付録の復刻版」など、本展でしか購入することのできないファン必見のアイテムも多数登場!
また、会場内における新型コロナウイルス感染症における混雑(密)を防ぐ施策として、QRコードを利用したオンライン販売も展開します。

初の試み! 風の谷のナウシカ「風使いの腐海装束」を完全再現!

腐海装束制作の様子 映画『シン・ゴジラ』 など数々の作品でキャラクターデザインや造形監修を務める造形作家・竹谷隆之氏が監修した『風の谷のナウシカ』に登場する「風使いの腐海装束」が初めて公開・展示されます。
「風使いの腐海装束」を等身大で制作することは初の試みです。
装束の他に、長銃や蟲笛、瘴気のマスクなども展示されます。

竹谷隆之(たけや たかゆき)
造形家。1963年生まれ。北海道出身。阿佐谷美術専門学校卒業。
映像、展示、ゲーム、トイ関連でキャラクターデザイン、アレンジ、造形を手がける。
『巨神兵東京に現る』で巨神兵の雛形制作、映画『シン・ゴジラ』では、キャラクターデザイン、『ジブリの大博覧会・王蟲の世界』の雛形制作・造形監修。
タケヤ式自在置物シリーズでは「ヘビケラ」、「王蟲」、「大王ヤンマ」、「トルメキア装甲兵」などの企画・デザインアレンジを担当。
<主な出版物>
『漁師の角度・完全増補改訂版』(講談社)、『ROIDMUDE竹谷隆之仮面ライダードライブデザインワークス』(ホビージャパン社)、『畏怖の造形』(玄光社)など。

竹谷隆之の写真写真/たけやけいこ

ココでしか聴けない! 往年のアニメファン感涙のエピソードとウラ話

本展アンバサダー&音声ガイドナビゲーターは、『風の谷のナウシカ』で主人公ナウシカ役を務めた声優・島本須美氏。
本展覧会の監修をつとめた三鷹の森ジブリ美術館シニアアドバイザーであり、当時アニメージュ編集部の高橋望さんと展示のみどころや当時のアニメにまつわるエピソード、ウラ話のほか、ナウシカや『ルパン三世カリオストロの城』のクラリスの名ゼリフも収録しています。

島本須美(しまもと すみ)
声優、ナレーター。映画『風の谷のナウシカ』の主人公ナウシカ役のほか、アニメや洋画の吹き替えなど多くの作品でヒロイン役や清純な少女の声を担当。
特に宮崎駿氏関連の作品には多く出演しており、『ルパン三世カリオストロの城』でのクラリス役、『となりのトトロ』の姉妹サツキとメイの母親役、『もののけ姫』のトキ役などで活躍。
他にも、『めぞん一刻』(音無響子役)、『それいけ!アンパンマン』(しょくぱんまん役)、『名探偵コナン』、『らき☆すた』など、幅広い作品に出演している。

島本須美の写真

一冊の雑誌からジブリは始まった

本展では雑誌「アニメージュ」の誌面や貴重な制作資料を通じて、スタジオジブリの「原点」を明らかにしていきます。 1974年に「宇宙戦艦ヤマト」が放送されて以降、アニメブームが盛り上がる中で「アニメージュ」は、ファンと作り手の架け橋となる日本初の商業アニメ専門誌として生まれました。
本展覧会では、現在はスタジオジブリのプロデューサーとして活躍する鈴木敏夫が編集者時代に手掛けた、1978年の創刊当時から80年代までの「アニメージュ」に焦点を当てます。
まだアニメという言葉さえ広がっていない時代から、1979年に登場した「機動戦士ガンダム」の大ヒットによりアニメは大きく飛躍するブーム期を迎えます。 そして、「アニメージュ」は後のジブリにつながる高畑勲・宮崎駿両監督を見出し、「風の谷のナウシカ」(1984)を世に送り出します。 さらに「ナウシカ」の成功を受けてスタジオジブリが設立され「天空の城ラピュタ」(1986)誕生へと繋がっていく、本展ではこういった道のりを振り返って行きます。
初展示となる「風の谷のナウシカ」の名場面のセル画や押井守監督作品「天使のたまご」の貴重な資料、初期ガンプラによる「機動戦士ガンダム」の名シーンを立体で表現したジオラマなど200点以上を展示します。 さらに、映画「シン・ゴジラ」のキャラクターデザインや 2019年に福岡市博物館にて397,595名という、史上空前の来場者記録を打ち立てた「ジブリの大博覧会」で、「王蟲の世界」を製作・監修した、日本を代表する造形師・竹谷隆之氏の監修による「風使いの腐海装束」と「巨神兵のジオラマ」を楽しむことができます。

鈴木敏夫に関して

編集者でありながら、スタジオジブリ誕生への道筋をつくった鈴木敏夫
鈴木敏夫は日本初の本格的な商業アニメーション専門誌「アニメージュ」を1978年の創刊から中心となって支え、「宇宙戦艦ヤマト」 や「機動戦士ガンダム」に象徴される日本で最初のアニメブームを盛り上げた立役者の一人でもあります。
「アニメージュ」で様々な実験的な試みを行う中で、高畑勲、宮崎駿両監督と運命的な出会いを果たし、「風の谷のナウシカ」を世に送り出しました。そして、編集者でありながらスタジオジブリ誕生への道筋をつくったのです。
プロフィール
1948年、名古屋市生まれ。慶応義塾大学文学部卒業後、株式会社徳間書店入社。
『週刊アサヒ芸能』を経て、『アニメージュ』の創刊に参加。
副編集長、編集長を務めるかたわら、「風の谷のナウシカ」「火垂るの墓」「となりのトトロ」などの高畑勲・宮崎駿作品の製作に関わる。
1985年にスタジオジブリの設立に参加、1989年からスタジオジブリ専従。以後ほぼすべての劇場作品のプロデュース。
現在、株式会社スタジオジブリ代表取締役プロデューサー。

鈴木敏夫の写真撮影:荒木経惟

章 アニメージュ誕生!

「テレビまんが」からアニメブームへ

1970年代後半のアニメブームの勃興期を、当時のアニメ映画ポスター、アニメグッズ、セル画コレクションなどの展示から振り返ります。 「テレビまんが」としてひとくくりにされ、「アニメ」という言葉すら定かでなかった時代に、自分たちの手で同人誌を作り、ファン同士で交流を深め、そして時にはアニメスタジオを訪問し作り手と交流さえしていた若者たちがいました。 そういう時代背景と、彼らの熱気があって、日本初の商業アニメ専門誌「アニメージュ」が生まれました。

本エリアでは、「アニメージュ」に先行して存在していたアニメ関連出版物も広く展示することで、「アニメージュ」の他にない独自性を示します。

※写真は東京会場です。

章 アニメージュは私たちにすべてを
教えてくれた!

ガンダムが変えた歴史


※写真は東京会場です。

1979年4月から放送が開始されたテレビアニメ「機動戦士ガンダム」に「アニメージュ」は注目し、雑誌をあげて全面的に応援しました。 「ガンダム」を作っているのはどんな人たちなのか、富野喜幸(由悠季)監督をはじめ、美術・デザインに関わる人々や作品に命を吹き込む声優の人々を繰り返し特集で取り上げました。 読者は、初めてアニメを誰がどのように作っているのかを知り、作品と同じように「作家」たちにも熱い視線を送るようになったのです。

本エリアでは、「アニメージュ」がガンダムブームをどう伝え、ファンがどう受け止めたのかを誌面の再現や当時の制作資料で振り返ります。 また、ガンダムブームのもうひとつの表れである「ガンプラ(ガンダムのプラモデル)」に注目し、初期ガンプラによる「機動戦士ガンダム」の名シーンを立体で表現したジオラマも展示します。

章 加速するアニメブーム

拡大するアニメージュ

ガンダムによって加速したアニメブームは、若い作り手が参加した作品が増えるなど、 さらなる発展を続けます。「アニメージュ」にも、鈴木敏夫の方針でファンと同世代のアルバイトスタッフが大量に投入され活気づきます。 また「アニメージュ」の活動は範囲を広げ、ファンとの大規模な交流イベントやラジオ番組、レコードやビデオが生まれ、出版物も文庫本やムック本などが続々と発刊されます。 雑誌の枠を超えた拡大は、いずれ自身が主導するアニメ作品制作へとつながっていくのです。

本エリアでは、鈴木の志向性が色濃く出た「表紙」と「付録」のギャラリーをお楽しみいただけます。 特に、付録は「情報誌」には珍しく、市販品よりも凝ったグッズや冊子、ポスターなどが毎月ついていました。 かつてのファンにはたまらなく懐かしい、貴重な付録や広告物を展示します。

章 ナウシカへの道

一冊の雑誌から映画が誕生

鈴木敏夫は、「アニメージュ」の編集を通じて、二人の作家と出会いました。
高畑勲と宮崎駿、アニメージュの創刊号で特集した日本のアニメーション史に残る名作「太陽の王子 ホルスの大冒険」を中心で生み出した二人です。 鈴木敏夫は、ガンダムや宇宙戦艦ヤマトなどの松本零士アニメが大人気だった81年8月号に宮崎駿監督の31ページにもわたる大特集を掲載したのを契機に、一気に高畑勲・宮崎駿らに寄りそう路線をとることを宣言したのです。

本エリアでは、82年2月号の原作マンガ連載開始を経て、84年に映画「風の谷のナウシカ」が誕生するまでの道のりを振り返ります。 さらに、今まで紹介されることの少なかった、貴重なレイアウトや原画、美術ボードなどの資料をその描き手が「アニメージュ」でどう紹介されてきたか、という視点から多数展示します。
中でも、また、「アニメージュ」という雑誌から映像制作が始まったという表れとして、徳間書店制作の他の映像作品をまとめて紹介。
鈴木が力を入れた押井守監督作品「天使のたまご」の貴重な資料展示や、今回初公開となる「風の谷のナウシカ」のセル画にも注目です。

※写真は東京会場です。